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タン ジョ ハンさん、砂澤嘉代さん(マレーシア)より

■「津波被災地で私たちは何をしたか」
スマトラ沖地震による津波被災地での支援活動の経験から

2004年12月のスマトラ沖地震による津波被災地、インドネシアのナングロ・アチェ・ダルサラーム州(以下アチェ)で被災者支援の活動をした経験を持つタン ジョ ハンさんとその妻の砂澤嘉代さんから、経験談のまとめが届いた。以下に紹介する。

《支援活動の始まり》
 ジョハンは災害の1週間後に被災地に支援活動に入りました。インドネシアにいるSEAPCP(ジョハンが設立メンバーとなった人権保護NGO)メンバーが支援グループをつくり、マレーシアのKOMAS(ジョハンが設立した人権保護運動の支援団体)と一緒に支援活動を始めたのです。

《支援活動の3つの段階》
災害支援には基本的に3つの段階があると言われています。
①1つ目は、生存確認。生存者を救う。物資、シェルターの確保、そこでの生活の維持。医療支援。

②2つ目は、専門家、経験者によるメンタルケア。新しい生活のため、新たな人生のスタートの支援。メンタルケアは、インドネシアの各地から支援にやってきた経験者が交代で長期にわたり行いました。生活の維持のためにジョハンは何度も被災地を訪れワークショップを行いました。アチェではメンタルケアをしようと海外の人が被災地を訪れましたが、文化も言葉も違うので、全く機能が果たせない地域もあったといいます。

③3つ目は復興。ほかの地域から安価な材木を運び、自分たちで(女性も)家を建てました。

《いつまで、何を支援するのか》
 アチェに入る前、ジョハンのグループは、長い期間、最低でも5年間支援しようと決めていました。ですから医療支援で最初に被災地に入ったときに、既に将来を見越した組織活動を始めていました。
 支援を考えたとき、どこまで支援をするのかをまず考えなければいけないと思います。ここ1ヶ月だけなのか、5年、10年と長期にわたるのか。
 次にどこの部分でお手伝いができるのか。それをするためには何が必要なのか。

 《相当の「覚悟」》
 大地震、大津波災害、それと原発の重大な問題もあり、支援活動には大きな危険が伴い、相当の「覚悟」がいると思います。
 アチェからジョハンを含めた支援グループのメンバーが戻ってきたとき、彼らは何らかの精神的ダメージを受けていました。戦争やフィリピン地震を経験しているジョハンでさえ、そうでした。腐食した遺体がそこら中にありましたから。

《支援物資》
 被災から5日後くらいでは毛布、水、食料が不足していて、政府や海外から届くと思われます。
 アチェの場合、津波の2、3週間後に、被災者からの要望が多かったのは歯ブラシでした。私の通う歯医者さんに協力してもらって、大量の歯ブラシを寄付してもらいました。それから、おむつ、生理用ナプキンの要望が非常に多かったです。
 アチェ津波の時、現地に入っている支援団体が多すぎて、その団体同士の連絡調整がされていないということもありました。
 日本ではそういうことは起きないと思いますが、アチェでは、支援物資が届いているのにもかかわらず少しでも薬や食料を多くもらおうと、援物資が届いていないと言ってさらに物資をもらおうとする事態が生じました。
 そんなことをしていると医薬品などの物資がほかの地域にいかなくなってしまうので、現地の団体や地域の人々からどのくらいの支援がされているかなどの情報を得ていました。
 また、土地勘のある現地の人や団体と一緒に、取り残されている人がいないか、確認してまわりました。2週間以上支援の手が差し伸べられていない地域がいくつもあり、それらの地域を中心に支援を続けていきました。

《医薬品》
 被災者は通常の薬を求めました。たとえば頭痛薬、正露丸のような腹痛の薬、解熱剤など、今すぐ必要ではないのだけれど、持っているだけで特に子供を持つお母さんは安心していたそうです。実際、津波から1週間が過ぎたころから、多くの子供たちは咳、発熱、下痢、皮膚の炎症などの症状が出ていました。絆創膏、包帯、ビタミン剤の要望もありました。日本だと高血圧の薬も必要かもしれません。
 たくさんの消毒薬も必要でした。津波で傷を負い、化膿している被災者が異常に多かったのです。はじめはかすり傷だったものが、栄養も睡眠も十分ではなく、清潔な水で洗うことも出来ず、ほんのかすり傷が大きな傷になっていきます。

《募金や医療チーム派遣》
 寄付を募ることだけでも、重要な支援です。または今後必要だと思われる物資を集める。寄付金で買ってもいいし、企業に寄付のお願いをすることも支援です。
 また、アチェの場合、医師と看護師をマレーシアからリレー式で送りました。
現地に入って、津波被害の少なかった町で薬を購入しようとしたら、ストックが少なく、また価格が2,3倍になっていて、第2グループからはマレーシアで買って入りました。

 《長期的な支援が必要》
 津波から5日目。生存者の中には、これが現実なのかどうかまだわからない人、呆然としている人、心身ともに疲れていることも感じず身内を探すことに必死になっている人がいる時期だと推定されます。
 日本は、アチェとは違うので、ここ何日間かで生存者確認が終了するかもしれませんが、その後、生存者はいい意味でも悪い意味でも家族との再会を果たします。それと同時に災害が現実であったことを実感していくようです。
 悲しみや怒りがまして、疲れ果てている体や精神面のダメージが現れてきます。子供たちはその一部始終を目にします。心が崩れていくのを体感すると言ってもいいと思います。
 アチェのケースでは、バイクの音が津波が来たときの音とよく似ていて、バイクが通ると泣き出す子供たちが多くいました。今でもトラウマになっている子供たちがいます。
 家、家族、生活などすべてをなくした被災者の方々がこれから生きていかなければいけない、その精神的なダメージをどのように緩和し、全くゼロから暮らしをつくりなおす作業が必要でした。心身、物理的なもの、両面で支援し、それを経験者が入れ替わり被災地を訪れて2、3年続けていました。
 
《メンタルケア》
 スマトラ沖地震による津波の時に思ったのですが、地震だけの場合と地震+津波災害の場合のメンタルケアは、若干違うように感じました。
 自分の親や子供が、自分の目の前で流されていくところを見ているわけです。手をつないでいたのに水の中で手が離れてしまったというケースもありました。その光景や体感が一生残り、後悔し続けている人もいます。
 子供に限らず、今笑っていた人が突然泣き出すことも頻繁に起こっていました。津波の経験のない専門家がどこまでケアできるのか、一般の人がどのように支援できるのか。被災者直接ではなく、現地の経験者を支援する方法もあると思います。
 避難している被災者の話し相手をする、子供と遊ぶ、赤ちゃんの面倒をみてお母さんを休ませる、といったような、「そんなこと?」と思われがちなことも、ひとつの支援だと思います。
 
《支援スタッフの健康》
 もう1つ、日本ではないと思われますが、遺体を運んでいるスタッフの体調に異変が起きました。調べたら遺体から出るガスでの感染症ということがわかりました。至急、現場に情報を流し、遺体にはむやみに近づかない、作業者は作業時間を1時間ごとに交代し、露出していた肌をそのつど消毒薬で洗うことにしたそうです。
 支援活動に当たったボランティアたち、特に遺体発掘隊として現地入りした人たちのメンタルケアも必要になりました。ジョハンはあのひどい現状が目に焼きつき、30分飛行機に乗っただけなのにKLはまったく通常の生活、それらのギャップが精神面へのダメージを起こしていたと思われます。
                               (2011年3月17日記)

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